フィギュアスケートの織田信成選手は、織田信長の末裔というのはあくまで自称らしい(今日発売の週刊新潮より)

インターネットでは前々から話題になっていましたが、ついにマスコミ沙汰に。
記事によると、昔実父が500部限定で配った家系図には、織田選手祖父までしかのっておらず、なんとそこから信長の子孫の幕末の旗本まで4代がなんと、空欄で不明。
マスコミが取材で質問すると、親戚に迷惑がかかるからと逃げ回っているとか。
またネット情報では、織田家の血を継いだ家は、江戸時代に大名・旗本と存続した次男信雄・七男信高・九男信貞の子孫と、弟(信行・信包・長益<有楽斎>)3人の家があるがいずれの家の現在の当主も、フィギュアスケート織田選手の織田家を知らないという。

〜 織田信長の子孫に関する小ネタ 〜
金スマ出演時に用意した家系図は某家系図業者共通の装丁で、
安住アナの指摘どおり「昨日作ったばかりのよう」な代物。
代々受け継いだものでないことは明らかで、歴史学的な検証には耐え得ない。
歴史ヲタにはおなじみの業者で、日本史板では落胆と失笑の声が上がった。
●織田母がTV番組出演時に語ったエピソード
「嫁に来て間もない頃に桔梗の花を飾ったところ姑に叱られた。」
「桔梗は明智の家紋だから、織田家では桔梗をいけるのはご法度ご法度なのです」
⇒旧丹波柏原藩織田家(元大名家)の当主である
織田孝一氏(本名は織田信孝、フリージャーナリスト)によるコメント抜粋。
「家には(桔梗ご法度の)習慣はないです」 「彼は誰なのでしょうね」

901 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 13:19:54
10代目織田信真 1842年〜?
11代目不明
12代目不明
13代目不明
14代目不明
15代目織田重治 1917年〜?

これが説明つかないんだけど
75年の間に四人挟まってるっていうのは理解し難い

>織田信成織田家は信長の六男、織田信高から続く幕府旗本織田家の傍流。
>途中で養子が入っているが、それも信長の次男、信雄の血筋なので、信成は
>間違いなく信長の子孫。

織田信長 - 2代織田信高(七男) - 3代織田高重 - 4代織田一之 - 5代織田信門 - 6代織田信倉(養子) - 7代織田信直(養子) - 8代織田長孺 - 9代織田長裕 - 10代織田信真 - (11代から14代は不明)- 15代織田重治 - 16代織田信義 - 17代信成(次男)

男系の実子関係だけたどると↓
織田信雄(織田信長次男)━高長━長政━長喬━信義━7代織田信直(実父の信義が当主だった、織田信長・五弟?の織田信包の子孫の家の丹波柏原藩から分家した旗本の家からの養子)

10代織田信真が、記録に残る最後の旗本織田家の当主。

11代から14代目が不明というところが問題になっている。信成の祖父が生きているのに、親の名前がわからないとか言っているところが問題になっているのである。

これを、見ると織田無道とおなじく本当に怪しいですね。
おそらく、明治初期に武士以外の平民も苗字を名乗れるようになったときに、自由に苗字がつけられるのをいいことに勝手に信長の子孫を名乗って織田という苗字を名乗ったか、その曾祖父の代と明治初期の(平民苗字許容令・平民名字必称義務令)と合わないから、どこの馬ともしれない某織田さんの養子にでもなったのか…。どっちにしろ織田信長の末裔というのはかなり胡散臭くて、あくまで自称とのことです。
(だって普通の本百姓<水呑百姓以外>の子孫の庶民だって、寺請制度のもとで自分の本家が檀家になってるお寺にいけば、戦争や火事で焼失してない限り江戸時代中期・前期ぐらいまで自分の祖先が分かるぐらいなのに、プライド・家系図にこだわる武家の子孫の織田選手の祖父が、自分の父の名前が分からないなんてことは、普通考えられないものですものね。


※↓のスレが詳しいです
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1251535688/

新房作品(シャフト)における声優かぶり具合(今日もやられやく)http://yunakiti.blog79.fc2.com/blog-entry-4718.html

作品名 月詠 ぱにぽに ネギま2 ひだまりスケッチ 絶望先生 まりほり 夏の嵐 化物語 ダンパイア 荒川
千和  × ×
神谷  × × × ×
野中  × × × ×
堀江  × × × × × ×
沢城  × ×
松来  × × × × ×
新谷  × × × × ×
杉田  × × × × ×
櫻井  × × × × ×
根谷  × × × × × × × ×
麦人  × × × × ×
井上麻 × × × × ×
真田  × × × × × ×
小林ゆう × × × × ×
後藤弱 × × × × × ×
後藤強 × × × × × ×
立木  × × × × × ×
小見川 × × × × × × ×
三瓶  × × × × × × × ×

http://changi.2ch.net/test/read.cgi/voice/1266742369/758、より追記

男子500メートルは、1984年サラエボ大会でで北沢欣浩が日本スケート界に初の五輪メダルから2002年ソルトレークシティー大会まで6大会連続でメダルを獲得したお家芸だった(スポニチ)http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2010/02/17/13.html

だが、トリノ大会は新エース加藤が6位、及川が4位、清水は18位と惨敗。メダル獲得の歴史に、ついに空白が生じた。これを受け、強化部長を務める鈴木総監督は「代表チーム」の強化に着手。海外ではナショナルチーム体制を敷き、年間を通じて少数精鋭で強化する国が多いが、日本は実業団、大学など各所属が強化の中心。だが、トリノ五輪以降はオフシーズンも合同合宿の機会を増やした。チームとしての一体感を生みだし、切磋琢磨する環境を整えた。選手、コーチ間の風通しも良くなった。

 投資も大きかった。バンクーバーには事前の情報収集と期間中の前線基地のために、半年前から会場近くに部屋を借りてサポートハウスを作った。そこで選手の練習の映像を解析した。その費用は1000万円超。トリノの3倍以上だった。
 「お家芸復活と言っていいでしょう」と黒岩彰氏。4年後のソチ五輪で長島は31歳、加藤は29歳。