河内源氏の系譜がウィキペディアでいつの間にか変わっている件



これまでは、源義親の四男とする室町時代中期成立の尊卑分脈の記載が尊重されていたが、北酒出本『源氏系図』、長楽寺本『源氏系図』、妙本寺『源家系図』、『佐竹家系譜』などの記載や平安時代後期の太政大臣藤原忠実の日記『殿暦』の記載により、為義は義家の四男であったとする佐々木紀一説が発表され尊卑の記載に基づく通説が揺らいでいる。

従来は↓
源頼信(河内源氏祖)━頼義━義家━義忠=為義(義忠兄の義親の子)━義朝━頼朝━頼家=実朝(頼家実弟)


とされていたが、源為義の実父は義親ではなく、今まで実祖父とされていた八幡太郎義家との説が出ているとのこと。


源頼信(河内源氏祖)━頼義━義家━義忠=為義(義忠弟で義家の子)━義朝━頼朝━頼家=実朝(頼家実弟)