江戸時代の公家の軒数http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1021389535

摂家 :大納言・左右大臣を経て摂政・関白に昇任できる家。
近衛・九条・一条・二条・鷹司の5家。執柄家とも呼びます。
清華家近衛大将と大臣を兼任し、太政大臣を極官とする家。
転法輪三条・菊亭(今出川)・徳大寺・西園寺・花山院・大炒御門・
久我・醍醐・広幡の9家。英雄家ともいい、
また明治以前は華族といえばこの家柄のことを指しました。
大臣家 :大納言から近衛大将を兼任せず内大臣に昇進し、
左右大臣を極官とする家。
嵯峨(正親町三条)・三条西・中院の3家。
羽林家近衛少将・中将を経て大納言まで進む武官の家。
羽林とは北辰(北極星)を守護する星の名で、
転じて中国で天子を護る宮中宿衛の官名となり、
日本では近衛府の別称となりました。66家
●名家: 侍従・弁官を経て蔵人頭を兼任し、
大納言まで進む文官の家。28家
●半家 :文官・武官双方の官職に任ぜられ、
大納言まで進む家。26家


合計:137家(江戸期)となるかと思います。

http://www.geocities.co.jp/nkks437758/kugeshuhnyuh.html
江戸の初期は天皇家領約3万石、五摂家が2,800石〜1,500石、世襲親王家桂宮だけが3,000石で他の3家は約1,000石、清華家今出川家が少し多い以外はせいぜい500石前後で江戸幕府御家人並み。大臣家3家は、2家が500石で残りの正親町三條(嵯峨)家はたった200石。
他は1,000石を超える特異な家もあるが100石・200石程度がほとんど。
137家尊王攘夷運動が高まって少し増えた数字なので実際の江戸初期〜中期は100家前後ですが、戦国時代の極端な窮乏時代を乗り越え、よく100家も残っていたもだと思う。
荘園から収入が戦国時代に消滅してから、五摂家以外の収入がロクにあるようには思えない家がよく残っていたものです。