伊達晴宗がとんでもない人物なこと(最近知ったこと)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%81%94%E6%99%B4%E5%AE%97
ウィキペディアだけでも結構な人だけど、この伊達政宗の祖父逸話↓
http://blogs.yahoo.co.jp/taihaku_kawauso/33459347.html

すごいのは、ヨソん家の娘に一目ぼれした挙句、
兵を動かし花嫁行列を襲って我が妻としたこと。。。
襲われた花嫁は岩城重隆の娘の久保姫。(岩城氏はいまのいわき市あたりが本拠)
略奪する前に、一応、オヤジの岩城重隆にお願いはしたらしいのですが
既に白河結城家に嫁ぎ先が決まっているということで、お断りされたらしい。。。
自分の娘を略奪された岩城重隆。怒って伊達家と戦争!! という所までいったのですが
略奪された久保姫から、略奪の張本人:晴宗を許してほしい。という手紙が
オヤジである岩城重隆に何通も届き、戦争まではいかなかったそうな・・・
結局、岩城重隆には男子がおらずまた、その他に適当な後嗣がいなかったので男子が生まれたら、岩城氏の跡取りにする。という約束で両家は和解。
実際、二人の長男が生まれると速攻で岩城重隆の養子に入り本拠の磐城平に送られたという、そして次に「生まれた次男:輝宗が伊達家を継いだ。ということ。

つまり、この晴宗が略奪婚をやらかしたおかげで、伊達輝宗は次男にもかかわらず、最初から伊達家の世子だという異例なこと、かつラッキーなことになった模様(岩城家がだいたい12万石で伊達家は本領の長井・信夫・伊達の3郡<支配領域は時期により流動的ですが>30万石なので)

晴宗は側室もとらずに、一途に久保姫を愛した・・・・・ らしい。。。
また、久保姫は孫の政宗の養育にも関わり、政宗からも敬愛されてた。。。

で、なぜか戦国関連ネタから無視されていますが、実はこの久保姫、晴宗との間になんと11人もの子を作っています(歴オタの間では、歴史上の有名人で最も子沢山の女性は、前田利家の妻の「まつ」さんの11人となっていますが、実はこの伊達晴宗の妻の久保姫も11人なので、前田利家の妻の「まつ」と並びタイ記録を持っていることになります(※ちなみに第三位は、鬼武蔵の母:森可成の妻えいの9人、晴宗の子同様、森可成の子も全員成人になるまで生きた…只、男子は末っ子を除いて…)。
また、この時代には珍しく大身の大名の当主にもかかわらず側室を持たなかったことからも、この久保姫への愛情がうかがわれます(子供を11人も生んだので、これ以上必要がないということもあっただろうけど)
※ちなみに子の伊達輝宗も恐妻家だったため、伊達家は2代続けて側室がいませんでした。