グレゴリオ暦とその前のユリウス歴の違いは

ユリウス暦とは、改暦前の太陽暦のこと。
改暦後の太陽暦つまり現在の暦はグレコリオ暦という。


ユリウス暦からグレゴリオ暦への改暦は、1582年10月4日の翌日より1582年10月15日に切り替え、
それ以前の時間に遡及して適用することはない。


グレゴリオ暦へは1582年にローマで改暦された。イタリア、ポーランドポルトガル、スペインも
これにならい、他のカトリックの国々もすぐ後に追従した。
しかし、新教徒の国、デンマーク、オランダ、ドイツでは1700年、イギリスとその植民地では、
1752年(9月2日の翌日を9月14日とした)、旧ソ連ではロシア革命後の1918年(1918年1月31日の次を
1918年2月14日とした。ロシア革命二月革命十月革命というのもユリウス暦であり、グレゴリオ暦
では三月革命、十一月革命となる)、ギリシアでは1924年に改暦した。


太陽暦は地球が太陽の周りを1回転する期間を1年とする。いや、したいところだが
公転周期(365.24219879・・・日)がきっちり365日ではないため、どうしてもだんだんずれてしまう。


ユリウス暦では1年を365日とし、4年に1回閏年とする(2月を29日とする)。


グレコリオ歴では、西暦年数で4で割り切れる年を閏年とするが、100で割り切れる場合は例外とする。
ただし、400で割り切れる場合は例外の例外で閏年とする。
2000年は4の倍数であり、100の倍数ではあるが400の倍数なので閏年。じゃぁ、2100年は。
2100年は4の倍数であるが100の倍数であって、400の倍数ではないので閏年ではないということ。


ユリウス暦では、太陽年は128年で約1日の誤差がでるが、グレゴリオ暦では3333年である。


日本では、1872年(明治5年)12月2日の翌日を1873年明治6年)元日にして、太陽暦に改暦した。
ただこのときはユリウス暦の置閏法であったので、その後1898年(明治31年)に現在のグレゴリオ暦
の置閏法に改暦されている。でもこの間例外も例外の例外もなく、日付が飛ぶようなことにはなって
いない。