慶長三陸地震は、17世紀前半頃の千島海溝震源の巨大地震と同一か、北海道と渡島半島で大津波の堆積物発見

 北海道東部を高さ20メートルの巨大津波が襲った17世紀初頭、道南や三陸北部に大津波
到達した可能性を示す堆積物を北海道大の平川一臣特任教授(地形学)が発見したことが12日、 分かった。同時期の津波堆積物は北方領土色丹島や道東、三陸南部でも確認されており、 約1500キロにわたり大津波の痕跡が続くことが判明。千島海溝周辺で連動型の超巨大地震が起きた可能性が出てきた。
 東北では1611年に慶長三陸地震と大津波が発生。道東の地震とは別に起きたと考えられていたが、平川特任教授は「北海道沖から北方領土沖で発生した巨大地震による津波が、三陸にも到達した可能性が高い。関係地域は防災対策を急ぐべきだ」としており、東日本大震災の復興計画にも影響を与えそうだ。
平川特任教授によると、渡島半島の北海道森町で2001年海岸沿いの崖から津波積積物を複数発見。1層は1640年に近くの駒ケ岳が噴火で崩壊、海に落ちた土砂で発生した津波堆積物のすぐ下にあり、17世紀初頭とみてほぼ間違いないという。当時の高さか約5メートル地点にあり、津波の高さはそれ以上と推測される。
さらに今年、宮古市田老地区の標高17メートルの谷底や、気仙沼市青森県東通村の海岸でも17世紀初頭とみられる堆積物を確認した。
慶長三陸地震は文献から高さ数メートルの津波が三回来襲、伊達藩領内で約1800名が死亡するなど福島県以北の三陸沿岸が大きな被害を受けたことが分かっている。震源三陸沖北部とされるが、津波到達が地震の最も大きな揺れから約4時間後と遅かったことから、疑問の声もあった。
一方当時の道東には文献がなく、約20メートルの津波痕跡が確認されたのはわずか13年前。ここ十数年の津波堆積物の調査で過去6500年間に十数回、約300年から500年おきに大津波に襲われたことが分かってきた。
平川特任教授は「千島海溝周辺の巨大地震なら、全ての堆積物の分布や三陸への津波到達が遅かったことも理解できる。前回(グレゴリオ暦1611年12月2日)から400年がたっており、次がいつ起きてもおかしくない」と話した。

11 :名無しさん@12周年:2011/10/13(木) 06:19:47.38
17世紀初頭って記録残ってないものなの


26 :名無しさん@12周年:2011/10/13(木) 07:24:41.41 P
17世紀の慶長三陸津波って、田老町で20メートルあったらしいね
あの明治三陸や311ですら15メートルだというのに
どんだけすごかったんだ、17世紀の津波・・・

>>11>>26
1611年に慶長三陸地震があって、3.11同様に仙台平野や三陸海岸を巨大津波が襲って大きな被害が出た記録がある
ただ、2011年東北地方太平洋沖地震が、三陸沖〜福島県沖〜茨城県沖まで震源域が広がったのに対し、
慶長三陸地震は、津波被害の記録から、福島県沖〜茨城県沖は動いていないと思われる
だから、断層の広がり=地震の規模は、東北地方太平洋沖地震の北側半分ぐらい?というのが今までの説


一方、17世紀初頭の千島海溝の巨大地震は、記録に残っておらず、津波の痕跡が頼り
これまで十勝から釧路にかけて津波痕跡があったことから、十勝沖と根室沖が連動したと推測
ただし、東北地方太平洋岸に、この地震による目立った津波被害の記録がなかったため、
地震の規模は最大でもマグニチュード8.6程度というのが今までの説
マグニチュード9クラスになると、東北地方にも大津波が押し寄せるのは確実だからね
ただ、最近の調査で、北方領土下北半島などでも津波痕跡が発見され、断層がもっと大きく広がっていたことが分かった
こうなるとどう考えても、マグニチュード9クラスはあった可能性が高くなる
そして1611年の慶長三陸地震と同時か、あるいは非常に近い時期にこの地震が発生したとするならば、
津波の記録が残っていないことを上手く説明できる
慶長三陸地震では北海道で多数のアイヌが溺死したという伝承もあり、
三陸沖だけが動いたというよりも、千島海溝も同時に動いていた方が説明がつきやすい
また慶長三陸地震津波の到達が、最も大きな揺れから約4時間後と遅かったという疑問にも説明がつく