ライフル銃、後装式銃、連発銃の発明者http://contest.japias.jp/tqj16/160274/rekishi/inde2.htm

いつだれが考えたかは知らないが十五世紀ごろから十六世紀ごろ(資料によってニュルンベルクのJaspard Zollerによって発明され、その後1520年にウィーンの武具師August Kotterが改良を加えていたり、十七世紀ごろイギリス人が発明したことになっていたりするため結局のところ不明)火縄銃の時代から、ライフリングという螺旋状の溝を銃身に彫った人がいた。どうやらそれは、装填を早くする目的と銃身内の掃除をしやすくするという目的があったらしい。しかし銃身内の掃除という点はわからないが装填はライフリングに弾を食い込ませるという特性のため発射速度はむしろ遅くなった。しかしライフリングを彫った銃を撃ってみたら命中精度が向上して「ライフリングスゲェ!」とでもなったのだろう。そのためかローマ教皇によるライフル製造禁止令などの紆余曲折があってもライフリングが刻まれた銃は猟銃などの形で少数だが作られ続け、歩兵用の銃としてライフルを採用しようとした皇帝もいた。因みにライフリングの効果はイギリス人のロビンズが1740年代に証明した。ライフルが記録に残る中で初めて猛威を振るったのはアメリカ独立戦争の時である。アメリカの民兵がドイツ人移民が作ったペンシルバニア=ライフルなどを使ってイギリス軍将校を片っ端から狙撃したのである。そのためイギリス軍はこの戦いの戦訓としてイギリス製ライフルであるベイカーライフルや一部ドイツ製ライフルであるヤーゲル銃などを装備した狙撃兵からなるライフル連隊を組織しナポレオン戦争に投入され結果的にライフルの改良が進んでいくことになる。しかし大部分の歩兵が装備した銃はライフリングが刻まれていないブラウン・ベス等の小銃であり雷管式の小銃になってもそれは変わらなかった。しかし状況が変化したのは、1849年にフランス人陸軍大尉のクロード・エティエンヌ・ミニエーが、ある形状の弾丸とその弾丸を使用するミニエー銃を考案したことによる。この弾丸は、当時一般的であった球形ではなく、いわゆる現在一般的などんぐり型をしており、球形の弾丸と同じように銃口から込められ、内径より小さめで押し込めやすく、発射時には火薬の爆発で生じた圧力により弾丸が膨張し、それによって弾丸が旋条に押し付けられ回転するのである。フランスではミニエー銃は直ちに試験され、いくつかの実戦を経た後、1857年にはフランス陸軍の制式装備となった。そしてフランスだけでなくイギリス、ドイツもすぐにミニエー銃を装備した。ペリー来航後の日本の雄藩もこの銃を採用したところがあった。

18世紀でも、内部にライフルが刻まれず筒状のゲベール銃が使われていたので、大々的に採用されだすのは『アメリカ独立戦争』からとのこと。で、1849年にフランス人陸軍大尉のクロード・エティエンヌ・ミニエーによって、ほぼ現在のライフル銃の原型になるものがほぼ完成系をみたということですか…。
(※確か、日本では村田銃として普及)