アラブの王族や石油王が、イスラム教の戒律の一夫多婦は4人までという戒律を平気で破れる理由http://q.hatena.ne.jp/1399105777

ちなみに、現在日本でタレント活動が主の初代インドネシア大統領の元妻のデビ夫人(デビ・スカルノ)氏は、初代インドネシア大統領の第三夫人でした。

私の拘りかもしれませんが、イスラム教の正式な夫人は4名で、この4人から生まれれば、正式な子供となります。この4人以外から生まれた子供というのは、母親は不貞行為ということになるし、子供の身分もまずいのではないか、と思っていました。
それは、さておき、
 > イスラム法では女奴隷の生んだ子は父が認知すれば自由人として
 > 認められることができると定められていたため
ならば、宮廷の後宮にいる奴隷(一日の主人の奴隷の場合でも、夫人に仕える奴隷であっても)が
こどもを産めば、それは、不貞によるものではないし、
子供も、正式な子供になれるのですね。
イスラム法は、そういう点は、融通が聞いているのだなぁ、と意外に思いました。
ご教示ありがとうございました。

当時のアラビア半島イスラム社会では、異教徒たる配偶者は妻ではなく妾として扱われたこと、奴隷制の下で女奴隷である女性が存在していたこと[4]、権利義務関係について条件付きの婚姻であるミシャー婚が存在していたこと、東部州ではシーア派独自のムトア婚(英語版)が認められていたこと、部族ごとに異なる部族習慣法に基づく婚姻とイスラム法に基づく婚姻とが混在していたことなどから、婚姻にかかる事実関係が複雑であった。また、歴史研究家によってはミシャー婚の相手を妾と呼ぶ場合もある。これらの事情から、どこまでの範囲の人物を妻と呼ぶことができるのかは必ずしも明確ではない。

要するに重婚は4人まで出来るが、妾に関しては『建前上の女奴隷』とすれば、サウジアラビアの皇族のように1号さんの子であろうが、7号さんの子であろうが、一応『嫡出子』扱いになるということ。
実際、厳格・原理主義的なイスラムスンナ派の分派のワッハーブ派イマームでありながら、サウジラビアの初代国王のアブドゥルアズィーズ・イブン・サウードは100人前後妻妾が実際いて、5号さん以降でも皇位継承権はある筈だが、コーランの建前上皇位継承権のあるのは、4人の正妻の子としているようだが、上記の事情を見るに、5号さん以降の男子も4号さんまでの子としている可能性が低くなく<※というか子作り適齢期間を過ぎた2号さん以降を次々離婚して、次々再婚して立て前上の、正妻は4人まで、という戒律を曖昧なまま次々妾をとっかえひっかえというのは、イスラム教の創始者ムハンマドやその嫡孫のハサン・イブン・アリーも行っており、アラビア半島周辺の昔からの習慣らしい>、ムスリムの一夫多婦は4人までという戒律は事実上されるも同然といわれても仕方がない。

初代国王の子供は89人いるとされ、うち男子は52人、女子は37人とされる。そのうちの36人の男子が王位継承権を持っている。
1.トルキー(1900年 - 1919年)
2.サウード(1902年 - 1964年) 第2代サウジアラビア国王
3.ハーリド(1903年、夭折)
4.ファイサル(1905年 - 1975年) 第3代目サウジアラビア国王
5.ムハンマド(1910年 - 1919年)
6.ハーリド(1912年 - 1982年) 第4代サウジアラビア国王
7.ナーセル(1920年 - )
8.サアド(1920年 - )
9.ファハド(1921年 - 2005年) 第5代サウジアラビア国王、スデイリ・セブン
10.マンスール(1922年 - 1951年)
11.アブドゥッラー(1922年 - ) 第6代サウジアラビア国王 兼 首相
12.バンダル(1923年 - )
13.ミシュアル(1925年 - )
14.アブドゥルムフスィン(1925年 - )
15.ムサイード(1926年 - )
16.スルターン(1927年 - 2011年) スデイリ・セブン、生前は皇太子の地位にあった。
17.ムトイブ(1928年 - )
18.ミシャーリー(1930年 - )
19.アブドゥッラフマーン(1931年 - ) スデイリ・セブン
20.タラール(1931年 - ) 王位継承権を放棄
21.バドル(1933年 - )
22.ナーイフ(1933年 - 2012年) スデイリ・セブン、生前は皇太子の地位にあった。
23.ナウワーフ(1933年 - )
24.トルキー(1934年 - ) スデイリ・セブン
25.サルマーン(1936年 - ) スデイリ・セブン、皇太子 兼 副首相 兼 国防大
26.マジード(1936年 - )
27.アブドゥル・イラーフ(1938年 - )
28.サミール(1938年 - 1958年)
29.アフマド(1940年 - ) スデイリ・セブン
30.マムドゥーフ(1940年 - )
31.アブドゥルマジード(1941年 - )
32.ハズルール(1942年 - )
33.マシュフール(1942年 - )
34.サッターム(1943年 - )
35.ムクリン(1945年 - ) 第2副首相
36.ハムード(1947年 - )

ちなみに、現サウジ国王のアブドラ国王は母は非主流派の上一人っ子だが、推定90歳の高齢にもかかわず、堅強・無難な政治ぶりだが、皇太子が現在のサウジアラビア皇室の事実上の筆頭親王家のスデイリ・セブンのサルマン王子であり、現在のアブドラ国王の男子は将来の皇位継承権は事実上ないと見られている。
問題は、事実上の次期皇太子のムクリン第二副首相がスデイリ・セブンでないため、サルマン皇太子がスデイリ・セブンの他の2人兄のように皇太子のまま死去したり、順当にサルマン皇太子が国王になっても非スデイリ・セブンのムクリン第二副首相が順当にこれまでの慣例通り皇太子になれるかどうかは不透明であり、サウード家皇位継承問題は混迷を極めており、現在の賢帝と称されるアブドラ国王ができるだけ、長生きしてほしいというのが、サウジアラビア王家のサウード家の本音と思われる。<※ウィキリークスwによれば、現アブドラ国王は齢90ほどの高齢にもかかわらず、約10歳違いの健康で知られる英国のエリザベス女王よりも壮健とのこと。>