豊臣政権下での大名石高トップ10(塩はうまくてまずいです)http://hosokawa18.exblog.jp/10285717/

 1位 徳川家康  255.0 万石 武蔵江戸
 2位 毛利輝元  120.5 万石 安芸広島
 3位 上杉景勝  120.0 万石 陸奥会津
 4位 前田利家   83.5 万石 加賀金沢
 5位 伊達政宗   58.0 万石 陸奥仙台
 6位 宇喜多秀家  57.4 万石 備前岡山
 7位 島津義久   55.5 万石 薩摩鹿児島
 8位 佐竹義宣   54.5 万石 常陸水戸
 9位 小早川秀秋  35.7 万石 筑前名島
 9位タイ 鍋島直茂   35.7 万石 肥前佐賀

他に、秀吉の直轄領が222万石。1595年の秀次事件までは、

豊臣秀次 100.0万石 尾張清洲
豊臣秀長→豊臣秀保 116.0万石*1→ 大和郡山

と、2つの江戸時代でいう親藩大名がいた。
(また詳細な資料が発見できなかったが、その2つの他に信濃甲斐府中<信濃は北に真田・上杉領があるので南信濃のみ>→美濃岐阜の豊臣秀勝も、1592年10月に死ぬまでは美濃一国の石高が54万石のうち32万石程度は保持していたと思われる<単純計算すると死後岐阜を継承した織田秀信の13万石+大垣の池田輝政の15万石=28万石だが、残りの約26万石は、太閤の蔵入地への編入稲葉貞通・河尻秀長・田丸直昌・加藤貞泰・伊藤盛正・平塚為広・関一政の与力らに分割されての石高大幅減少なので>、

追記…秀勝は文禄の役に8000名動員しているので、当時の石高一万石で250人を元にして計算すると、32万石になる。おそらくこの数字が美濃岐阜時代の秀勝の石高の表高に一番近いのではないかと個人的には思う)
さらに↓
http://sans-culotte.seesaa.net/article/18336456.html
小早川隆景が30万石で1万人動員に対し、秀勝は中部の大名で隆景より負担の低い100石につき4人なので、その役高は石高の2/3なので単純計算なら30万石。
まあ、美濃岐阜時代の豊臣秀勝の石高かは約30万石強なのは、ずれはなくほぼすれはないと思います。


また、子飼い扱いだった蒲生氏郷も夭折する前は、

蒲生氏郷 92.0万石 陸奥会津

で大封。織田信雄と丹羽氏は最初から早期に改易されたので除いた。