東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県南の沿岸部で、津波の浸水が江戸時代の街道と宿場町の手前で止まっていた(河北新報)http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110425t13021.htm

 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県南の沿岸部で、津波の浸水が江戸時代の街道と宿場町の手前で止まっていたことが、東北大東北アジア研究センターの平川新教授(江戸時代史)らのグループの調査で分かった。平川教授は「過去の津波の浸水域を避けて、街道が整備された可能性が高い。自然と共存するための先人の知恵ではないか」としている。

 グループは震災後の国土地理院の航空写真を基に津波浸水域図を作製し、旧街道や宿場町の地図と照合した=地図=。現在の岩沼市にあった「岩沼宿」から水戸へと続いていた、太平洋岸の主要街道「浜街道」に着目。岩沼宿から宮城県山元町の「坂元宿」までの街道と宿場の大部分が、浸水域からわずかに内陸部に位置し、被害を免れていた。

浜街道周辺はほぼ400年おきに津波に襲われている。

http://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/tohoku/p04_miyagi.htm


↑上記URLを見れば浜街道周辺より北の現在の宮城県女川町以北の三陸海岸では、もっと短い間隔で起こっていることが記録に残っている。